tokakudoku15’s diary

兎角毒苺堂のブログです

『誰にも奪われないし差し出さなくて良い』被造物のはなし

『買えない本がつくりたい』と思った時に、2つ選択肢があって、ひとつは電子書籍(※その当時はなんと呼ばれていたか覚えてないけど)、もうひとつが“物理的に手に取れるけど1つしかないから売れないオブジェクト”だったのでだんぜん後者だったのを思い出した。 手に入らないモノはうつくしくていい。

あの頃も数で決めつけてくる他人の評価とか風潮にいい加減うんざりしてて、『ばっか、おまえ、ヘンリー・ダーガーが至高やぞ?』って今とおんなじこと考えてた

おそらく『誰にも奪われないし差し出さなくて良い』というのが自分を救ってくれたんだと思う でも“ウチの子”感はない……被造物と造物主の関係ではあるが

そもそもドラゴナイト擬典は最初から脳内に完成品があってそれを取り出すために右往左往して脳内のブツを忠実に再現した被造物なので、「外の世界に出たかったからちょうどそこに居た人間を使った」感が強い

他のひとが1冊でも多く、ひとりでも多く読まれたいと想うのは否定するところじゃないしがんばれー!って思ってるけど最初からそんなのどうでも良くて読みたい本をずっと作りたいから作ってるし『売らなくていい本を持っているのだ』という現実は祝福で癒しで救済です

この自己完結をまるで不気味なものを見たかのような顔をされてしまう相互不理解はたぶん“渇望の種類が違う”という事なのだろうな

「お金を出せば売ってもらえる本」の存在はありがたくてほんとうに素晴らしいです。 だけど『売らなくていい』というのはね、モナリザを手放したくなくなってしまったダビンチが手元に置くことを許されたみたいな気持ちなんですよ。(たとえがわかりづらい)

売らなくていい本の話を即売会界隈のひとに正直に話すと『こいつマジでヤベぇいったい何を言っているんだ???』って目で見られますがライブラリー展のひとに話すと「(売れないけど)売りたいとは思わないですか?」とか普通に返ってくるのでホッとする(思わないです)、つまり浮いてる(知ってる)

「作りたかったから作った」が通用する場所があって良かった

即売会界隈では通用しないし意味を理解して貰えないから(意味を説くつもりではないが聞かれたら答えるし答えても毎回『意図がわからない』って顔されるしで) 「より大勢の人に手に取ってもらいたいし読んで欲しい」のは同じなんだけど、そこから先が違うんだよ

まぁ、“みんなが作った本を持ち寄って売るところで辿り着いたのが売らなくていい本を作ることだった”って「ちょっと何言ってるのかわからないですね…」案件だわな(「こちらは…おいくらなら売って頂けますか?」と聞いてくださった方本当にありがとう最高の賛辞です)

でもさ…商業ではやれないことがなんでも叶うし出来ちゃうのがインディーズの良いところだし利点なんだから「売り渡さなくていい」ってインディーズの最強の強みじゃない?

こうして書き連ねてみると、どうやら自分は「商業じゃなくインディーズならお金で手に入らない作品が存在してても良い」と思っていたみたいなんだよね(※実際は1次創作界隈ですらその思想は異端視されているが)

なんでそう思ったのかなぁ…『意図がわからない』『こいつマジでヤベぇいったい何を言ってるんだ???』っていう目で見られる度に、うんざりガッカリさせられて結局『ここでも変わり者なのか』と落胆して

脳からゾロリと出てきた感じを表現したくて架想現実世界博覧会っていうのがやりたいんだーーー(体調が予断を許してくれなくていつやれるかわからんけどな…)

居場所がないなら自分で作っていくしかないし、他人が用意してくれた場所に居ようと思うなら“場に合わせる”ことが求められるので、自分がやりたい事をやれる場所を探して彷徨う気力体力があるうちに動かないと、場所はなくなるしバンドは解散するしひとはしぬ。

でさぁ、

『誰にも差し出さなくていいもの』を手に入れたいから人間は生きているんじゃないの?

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擬典