目覚めよ、と呼ぶ声が聴こえ
1年以上開いてしまいました、皆さまご機嫌よう。
2019年11月14日から身体を動かし続けていました。物理的に。
戸越銀座商店街にある武術スタジオStudio Libraへ通い始めました。
今まで身体を動かす系の趣味は皆無に等しかったため、のんびり緩く続けば良いか~と思っていたところ、ながいものを振り回す楽しさにどうやら目覚めてしまったようで…最近はなぜか週に5回~6回お稽古してます。
筋肉が増え、脂肪が落ち、シルエットが変化し、カットが増えてゆく…いやぁ~~身体改造たのしい(ハマった)。
2021年の現状下(covid-19)においてイベントの定期開催が厳しいと予想されるので、当面は直参の予定をシェフの気まぐれメニュー(開店休業的なスタンス)にしたいと思います。今のところ、8月4日(水) ~8月14日(土)の「THE LIBRARY 2021」(ライブラリー展)、夏の大阪文フリ(9/26)、秋の東京とびもの学会(10/3)に出展する予定です。
わたしのアイデンティファイは確かに物作りによって長年かけて形成されてきたものですが、その年月を塗り替えようとする勢いで身体がお稽古によって覚醒しつつあります。その勢いたるや、泥の中で2000年眠りこける蓮根の両頬をビンタで叩き起こし蓮を咲かせる激しさで。
楽しいですよ?(フフフ)
おもしろ同人バザール8(11/3)に参加しました
11月3日のおもしろ同人バザールは、ドラゴナイト擬典を5年ぶりに読む為に東海地方からブースまで来てくださった方が居て、とても嬉しかったです。(久し振りにブログを書こうと思うほどw)
まず画面がゴチャゴチャでうるさいですね、すみません(苦笑)。
左から
・コミマのらっくんX(ディスプレイ棚)
・擬典スタンドとドラゴナイト擬典
・ディッシュラック(100均)の上に委託の「魔剣士サラ=フィンク」
・ディスプレイの背後にポスタースタンド2本とB4ポスター4枚(!)
・椅子の後ろに吊り布スタンドと吊り布
という、目が散る事この上ない盛り過ぎ全載せ丼。
こちらはブース裏。
通称“裏庭”と呼んでます。
裏から見ると、コミマのらっくんXの裏側から見える隙間、気になりますね……
目隠しは必要です(※PPシートをカットして作る予定)。
【反省点】吊り布はもうちょっと考えて使おう。ポスター4枚は多過ぎた。
結局のところ「なんでもアリです」と謳うと人目や気は惹けず、“ニッチに全振りすればするほど、ニッチでない人間の目も惹く”ようになるんだナー、という感想。
という訳で、兎角毒苺堂の2019年内イベント直接参加はこれにて終了。
来シーズンの活躍にご期待ください。
※ただし、このあと兎角毒苺堂はプチイベントを開催しますw
『誰にも奪われないし差し出さなくて良い』被造物のはなし
『買えない本がつくりたい』と思った時に、2つ選択肢があって、ひとつは電子書籍(※その当時はなんと呼ばれていたか覚えてないけど)、もうひとつが“物理的に手に取れるけど1つしかないから売れないオブジェクト”だったのでだんぜん後者だったのを思い出した。 手に入らないモノはうつくしくていい。
あの頃も数で決めつけてくる他人の評価とか風潮にいい加減うんざりしてて、『ばっか、おまえ、ヘンリー・ダーガーが至高やぞ?』って今とおんなじこと考えてた
おそらく『誰にも奪われないし差し出さなくて良い』というのが自分を救ってくれたんだと思う でも“ウチの子”感はない……被造物と造物主の関係ではあるが
そもそもドラゴナイト擬典は最初から脳内に完成品があってそれを取り出すために右往左往して脳内のブツを忠実に再現した被造物なので、「外の世界に出たかったからちょうどそこに居た人間を使った」感が強い
他のひとが1冊でも多く、ひとりでも多く読まれたいと想うのは否定するところじゃないしがんばれー!って思ってるけど最初からそんなのどうでも良くて読みたい本をずっと作りたいから作ってるし『売らなくていい本を持っているのだ』という現実は祝福で癒しで救済です
この自己完結をまるで不気味なものを見たかのような顔をされてしまう相互不理解はたぶん“渇望の種類が違う”という事なのだろうな
「お金を出せば売ってもらえる本」の存在はありがたくてほんとうに素晴らしいです。 だけど『売らなくていい』というのはね、モナリザを手放したくなくなってしまったダビンチが手元に置くことを許されたみたいな気持ちなんですよ。(たとえがわかりづらい)
売らなくていい本の話を即売会界隈のひとに正直に話すと『こいつマジでヤベぇいったい何を言っているんだ???』って目で見られますがライブラリー展のひとに話すと「(売れないけど)売りたいとは思わないですか?」とか普通に返ってくるのでホッとする(思わないです)、つまり浮いてる(知ってる)
「作りたかったから作った」が通用する場所があって良かった
即売会界隈では通用しないし意味を理解して貰えないから(意味を説くつもりではないが聞かれたら答えるし答えても毎回『意図がわからない』って顔されるしで) 「より大勢の人に手に取ってもらいたいし読んで欲しい」のは同じなんだけど、そこから先が違うんだよ
まぁ、“みんなが作った本を持ち寄って売るところで辿り着いたのが売らなくていい本を作ることだった”って「ちょっと何言ってるのかわからないですね…」案件だわな(「こちらは…おいくらなら売って頂けますか?」と聞いてくださった方本当にありがとう最高の賛辞です)
でもさ…商業ではやれないことがなんでも叶うし出来ちゃうのがインディーズの良いところだし利点なんだから「売り渡さなくていい」ってインディーズの最強の強みじゃない?
こうして書き連ねてみると、どうやら自分は「商業じゃなくインディーズならお金で手に入らない作品が存在してても良い」と思っていたみたいなんだよね(※実際は1次創作界隈ですらその思想は異端視されているが)
なんでそう思ったのかなぁ…『意図がわからない』『こいつマジでヤベぇいったい何を言ってるんだ???』っていう目で見られる度に、うんざりガッカリさせられて結局『ここでも変わり者なのか』と落胆して
脳からゾロリと出てきた感じを表現したくて架想現実世界博覧会っていうのがやりたいんだーーー(体調が予断を許してくれなくていつやれるかわからんけどな…)
居場所がないなら自分で作っていくしかないし、他人が用意してくれた場所に居ようと思うなら“場に合わせる”ことが求められるので、自分がやりたい事をやれる場所を探して彷徨う気力体力があるうちに動かないと、場所はなくなるしバンドは解散するしひとはしぬ。
でさぁ、
『誰にも差し出さなくていいもの』を手に入れたいから人間は生きているんじゃないの?
手を動かせば、いつか終わる
創作 Advent Calendar 2017 - Adventar
2017年は兎角毒苺團から兎角毒苺堂に進化した記念イヤーです。
残念ながら記念らしいことは何もできなかったのですが…どうやら立ち位置についてそろそろ考えるタイミングみたいですね。この数ヶ月ずっとサークル活動の休止宣言をするかしないか考えてたんですけど、宣言するタイミング掴めないんでもういいや~って。ちょっとあんまり楽観視できない病気になっちゃってイベント直参できないだけで、ものをつくることはやめないだろうし(たぶん)体力が快復すれば直参も可能になるんだろうし(たぶん)まぁどうにかなるだろうって思ったら…まぁ特に宣言する必要もないのかなって。
なんかこー…つくづく超大型台風が日本に接近してるっていうニュースをBGMに「やれやれ困ったレディだ」とか肩を竦めながら嘯いて背中に大剣背負って街を去るっぽい大袈裟なインシデント発生率の高い人生だよなぁ。体調の悪化に伴いイベントに出られずガッカリションボリもしたけれど推しのおかげで浮上中の人間から“つくる”って自他共に生産性の認められる行為なのでつくる際の動機はプラスの感情から開始したほうが気持ちいいですよ~ってのだけ、お伝えしておきます。
辛いことや悲しい出来事が遭ったり、落ち込んでたり、体調が悪かったときはしっかりそれらのマイナスの感情に身を任せてOK
でもそれらのマイナスの感情を動機に物事を始めてしまうのはNG
調べてみないとわかんないですが心理学でもそういう効果についてたぶん説明されてるんじゃないかなって思うので詳しく知りたい方はぐーぐる先生に直接質問してみてください。
「得手不得手と 向き不向きと 好き嫌いは全部別」 …ってよく言うんだけど、“努力では無我夢中に勝てない”ってのもその理由のひとつ。評価の総合得点とかに関係なく、『ああ、勝てないなぁ…』って作品に出逢った経験がある人なら、わかる感覚だと思う。
仮説のひとつとして「努力は作品を作り、無我夢中は作品を産み出す」なのかな、と。無我夢中の境地に至ると“作為”が段々抜けて、雑味のない味に仕上がってゆく。鬼作、とか、怪作、と呼ばれる作品はそういう境地から産まれ出たモノなんじゃないのかな、と。処女作は傑作、みたいな言われ方をするのはそのせいもあるんじゃないかな。多くの人は最初は無我夢中で作品に向き合う。自分の中のパワーに気圧されるように書いてる。制御できてしまってる人はなかなか門が開かない。何度も門を叩く。それは努力。努力で無我夢中を越えようとする。それも強さ。
産むタイプの人間はわざと自分を追い詰める。そうする事で産道を広げようとする。劇薬を何度も自分に使う。己れを削る。
作るタイプの人間は自分を追い詰めない。劇薬を使ったり己れを削っても良い作品は作れない、という事を知っている。
これも器質の違い。
『居場所がない』と感じたことのある作り手のひと限定になっちゃうかもしれないんだけど、『肯定されたい場所で続ける』『好きな方法で続ける』『居場所が見つかるまで続ける』などは作り続ける動機になるよな~と感じる。
『肯定されたい場所で続ける』は自分を否定されたくない、だし
『好きな方法で続ける』は嫌いな方法で続けたくない、だし
『居場所が見つかるまで続ける』は居場所がないから見つかるまで探す、なんだけど…ネガティヴな動機を裏返せた時からが自分とのガチンコ勝負だと思ってる。
ネガティヴな動機がいろんな局面で妨害してくるので、出来る限り早めに裏返しておけるとエネルギーを無駄に消耗せずガチンコ勝負で本領を発揮できる。
挫折で心折れてしまうより、小さな挑戦と失敗を何度もリカバリーして弱い部分を補強しておく事が長く続ける為には必要なのかも。
トライ&エラーは大切。
理解 分解 再構築
インターネットの速度は思考の速度にたぶん近くて、だから頭の中を照射する装置として使いがちになるけど、思考の速度と人間が手を動かす/身体に落とし込む速度は別物なので、飲み会の生身の人間同士が身体の速度で話をして次の企画に繋がるんだよなぁ
身体の速度を意識して企画しないと思考に置いていかれる事がままある
スピードもそうだし、規模もそう。『たくさんの人が参加してくれたらきっと楽しいはず!』って想定以上に規模が大きくなると思考に置いていかれる。
器の素材とサイズの問題。
器とキャパシティー。
おそらく伸び代を育てるのは中の人間の役目ではないのだろう。中の人間は器を維持すること、補修やメンテナンス、トラブル時のケアがメイン。
古くなったりガタがきている所を見つけて黙々と改善する裏方仕事。結果だけしれっとリリース発表したらいいと思う。
ずるいは成長も阻害する。
基礎の部分は徹底的に利己主義なまま維持したほうが、のちのち屋台骨がぐらつかなくて良い。どこまでビジネスライクで通すかの線引きを人間がやれば良いと思う。人間にしかできないことを人間がやる。
“手紙を書く”は“個”に届けたい時に有効。どんなに良い説明書や手引き書を作成しても大半の人間には読まれないが、ルールやレギュレーションを手紙の形式でしたためると面白いぐらいレスポンスがある。わからない所を質問する、確認する、ふるいの目が細かくなる。
なので手紙を愛用する。
質問形式の手紙やアンケートの体裁の手紙だと即効性。ビジネスライクに義務化して良い部分。
向き不向きがあるので自分のやり方に合う方法を見つけるしかないが、全体のバランス偏重で削ったり盛ったりするだけでは上がらない精度があるし、かといって部分の精度偏重すると全体のバランスが整わない。
悩ましい。
脳内棟梁は完全に部分の精度偏重だからいつも「その調子だ、続けろ」って言う
「おめえの作りたいモンはおめえの腕がちゃあんとわかってる。腕を磨いてやりゃあ、作りたいモンが作れる」って棟梁が言ってた
「ありあわせの部材しかなくても手間ひま掛けりゃ完成する。最高の部材を用意したって手を抜きゃ無様なモンにしかならん」
「基礎には石をつかえ。昔からあるもんは滅多なことにはならん」
「口で作ろうとするなよ、手を止めない奴が実直なんだ。」
来年以降、また手を動かします。それまではしばらくお休み。
最近再認識したのがどうやら“モドキ”というテーマを追い続けるのが自分という1冊の本の味で、そのうちの結実した成果にドラゴナイトも含まれるってことで。
魔法陣を物理で作り写真を撮って次の本の表紙に使いたいです。いよいよ訳が分からないですね(まがお) 大丈夫ですこれが通常運転です。時期は未定です。
イベントの直参予定は白紙ですが、ドラゴナイト擬典の展示が出来るイベントがあれば積極的に出していきたいです。委託…?じゃないのかな。展示委託???「委託枠で展示してもいいよ」というイベントがあれば、ぜひ教えてください。擬典が単独出張します。
《こんな素材で作りたいなーと思ってるモノを好き勝手に列挙》
星座
水晶
粘土
胡桃の殻
ミニ額縁
物理魔法陣
天体テラリウム風
銅板のミニプレート
ミニチュア家具+発光
水槽展示進化バージョン
うん、順調にどこ向かってんだか謎だ。